JPR/震災で10万枚パレット流出

2011年07月23日 

日本パレットレンタル

東日本大震災に企業はどう動いたか

地域一帯に流されたパレット回収に全力

3月11日の東日本大震災は東北地方の経済活動に大きな被害をもたらした。家屋や工場、店舗などの直接的な被害はもとより、サプライチェーンの寸断も企業活動には多大な影響を及ぼした。

パレットレンタルの企業である日本パレットレンタル(以下:JPR)も、例外ではない。仙台デポ周辺では約10万枚のパレットが津波により流された。同社の震災後の復旧策と復興策を聞いた。

<仙台デポ周辺の空撮写真、茶色の米粒のようなものがパレット>
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<仙台デポ周辺の地図>
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<津波で散乱したパレット類>
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震災翌日に震災対策室を立ち上げる

JPRが発行している広報誌「PalletReport」の最新号は震災からの復旧リポートとなっている。そこには仙台デポを中心とした生々しい被災状況から復旧に向けての活動風景、そして仙台デポ全面復旧に至るまでの様子が綴られている。

<JPR広報誌「PalletReport」は特集が震災からの復旧リポート>
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<画像をクリックすると拡大します>
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その中には3月11日からの復旧作業が時系列的に現場と本社の活動が記録されている。同社本社では大震災の翌日、休日の3月12日に震災対策室が設置された。これには本社の部課長クラスが対策室員として集まり、社長の指名でリスク・マネジメントを担当していた総務室長が震災対策室長となった。

震災対策室は初期の段階では安否確認と被害状況の確認が中心課題だ。経営企画室の菅家隆史次長は「とにかく1番に安否確認でしたね。前日に帰宅難民となった東京の本社の社員、仙台営業所の社員については12日中にすべて確認が終わりました。でも、被害を受けた仙台の岩沼工業団地内にある仙台デポに関しては、通信がつながらず、安否確認が終わったのは14日になりました」と語る。

そして被害状況が次々と明らかになる。同社や仙台デポでオペレーションをアウトソーシングしている会社には人的被害はなかったものの、パレット運送の協力会社では人的被害があった企業もある。トラックが約30台も津波に流された運送会社の話も聞いた。

パレット10万枚が流出、回収は3月28日から

物的被害では、仙台営業所の被害は少なかったが、仙台デポでは大きな被害を受けたことが伝わる。仙台デポには約8万枚のパレットの在庫があったが、それらの大部分が津波により流され、同団地内にある顧客企業5社のパレットも約2万枚が周囲2㎞にわたって流出していたのだ。パレットは建屋の外にあったものはもちろん、建屋の中にあった物まで流されていた。

震災対策室では、すぐに「流出パレット回収班」、「顧客対応班」、「デポ復旧班」など8つの班を立ち上げる。しかし、被害現場は道路が不通になっており、燃料も不足。全国のJPR社員が復旧活動に現地に入ることができたのは3月29日になってからだった。

仙台デポ周辺はまさにパレットの山となっていた。「あたり一面パレットでした。当初は重機もパレットが道路を封鎖しているので使えず、手仕事でした。そうこうするうちに、地元からも道路が使えないと散乱したパレットに対するクレームがきたりしました。民家の前の道路までパレットが流されていたのです」と菅家次長。

<仙台デポ周辺は流された車や瓦礫とともにパレットも>
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パレット回収に延べ541名動員

同社ではこれらのパレット回収のために、2週間で延べ541名を動員し、パレットの回収にあたった。1日75名で作業したこともある。回収には仙台デポ、JPRの応援部隊、委託会社や建設会社からも応援があった。宿泊施設に関しては、避難所にお世話になるわけにもいかず、同社の社員は山形にホテルをとったという。約1時間で現場に着くことができた。

流出したパレットは泥をかぶり極端に重量を増しているため、作業は困難を極めた。水も電気もない中での作業だ。フォークリフト4台、ホイルローダー2台、ユニック車1台などの重機を持ち込んでいたが、燃料不足に悩まされ、協力会社や運送会社から融通してもらったりした。

<ユニック車も動員して改修作業にあたる>
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<川の周辺にもパレットは散乱していた>
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<木のパレットはメンテナンス不能だった>
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「木のパレットは水を吸い破損もひどかったので、メンテナンスしてもレンタル品として使えるものはほとんどありませんでした。流出し回収できないパレットは約2万枚になると計算しています」と菅家次長。だが、回収をあきらめたわけではなく、同社では「パレット回収いたします」のチラシを制作し、パレットの発見の協力を地域住民に呼びかけている。

<パレット回収のお願いのチラシ>
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物流システムに負のスパイラル

パレットの回収とともに大きな課題となったのが、パレット不足である。震災により被災地支援のために関東・近畿・九州エリアのメーカーや流通業者が東北エリアに優先的に物資を供給。それに伴いパレットも東北エリアに集中することになる。

一方、東北エリアの工場が被害を受けたことから、生産がストップし、商品発送がなくなると、関東圏へ輸送されるパレットが大幅に減少する。東北エリアに大量のパレットが滞留することになった。また、燃料不足や道路事情の悪化でパレットだけを移送することも困難だった。

さらに、東北エリアの工場の被災や関東圏の計画停電の対策から、西に生産拠点をシフトする顧客が増え、西日本地区でのパレット需要が急激に増加。このため、パレットの供給導線に大きな狂いが発生した。

新規需要に対応するために新たなパレットの生産をしようにも、パレットメーカー自体が被災を受け、さらにはプラスチック材料の入手も困難となっていたからだ。

菅家次長は「パレットを貸し出しするまでのリードタイムが長くなってしまうため、一時は主力商品以外のパレットを代替品として投入することも考えていました。最終的にはお客様に早期返却のご協力をいただけたこともあり、代替品投入は免れました」と話す。同社では顧客へのお詫びとともに、引き続き「レンタルパレットの注文は余裕を持って早めに」と協力を訴えている。

BCPにどれだけ金をかけられるかが企業に問われる時代に

同社の被害総額は5億1000万円に上る。これにはパレットの再取得費、設備の復旧、パレットの整備、その他復旧関連の諸経費が含まれている。

「まさに想定外のことが起きたので、今後の対策についてはBCP(事業継続計画)やリスク・マネジメントでやっていくしかありませんが、今はお客様にパレットの補給を継続することを最優先とし、すべてにおいて見直しから始めていくつもりです」と菅家次長。

見直しを徹底するということは、あらゆる場面・状況を想定することから始めなければならないということでもある。それにはやはり企業経営の効率化とBCPにかける予算とのバランスをどのようにとっていくかが大きく問われている。

日本の産業界では未曾有の大惨事だっただけに、復旧に追われた各企業での今後の対策は今始まったばかりだ。

<日本パレットレンタル菅家隆史経営企画室次長>
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日本パレットレンタルの概要

住所:東京都中央区日本橋茅場町2-13-11国際ビル
営業所:札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡
設立:1971年12月1日
資本金:4億9962万5000円
売上高:166億円(2011年3月実績)

http://www.jpr.co.jp/

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